十輪院について

由緒

『享保二年、小倉城主二代小笠原忠雄公が江戸の藩邸にいる時、大火災が起った。
勢いが激しく館に火が燃え移るのを防ぐことが出来ずにいると、一人の怪僧が殿上に現れ、火をくい止めた。
その僧は「我は領内豊前今任の地蔵なり」と告げ姿を消した。
後日調べたところ、僧が告げた十輪院のお堂には確かに地蔵菩薩が存在した。』という記述が残されています。
また十輪院を記すものとして、江戸時代に日本各地を歩いて測量、17年かけて日本の地図を作り上げた人として有名な伊能忠敬の測量日記に
「文化9年(1813)7月14日朝少雨止め曇、上今任村枝道原初、下今任村、十輪院にて小休、宝蓋松あり」と、(福岡県史資料第一)と記録が残されています。

宝蓋松 宝蓋松過去 測量日記

数百年を経た古松は道行く旅人に親しまれ、前を流れる小川とともに涼を求める姿は、当時の面影を彷彿とさせるものです。
松霊山の山号もこの松になぞらえたものと思われます。
この伊能忠敬の測量日記に記されている宝蓋松は、田川地域の炭鉱閉山に伴う鉱害復旧工事や松くい虫の影響で枯れましたが、
2018年5月に伊能忠敬没後200年の記念行事に合わせて2代目宝蓋松が植樹されました。

住職挨拶

ご住職挨拶

和歌山県の高野山金剛峯寺に属し、本尊は鎮火地蔵尊。火難守護のお寺として地域の皆様にご支持頂いております。

鎮火地蔵尊の逸話
『享保二年(西暦1717年)、小倉城主二代小笠原忠雄公が江戸の藩邸にいる時、大火災が起った。
勢いが激しく館に火が燃え移るのを防ぐことが出来ずにいると、一人の怪僧が殿上に現れ、類燃をくい止めた。
名を尋ねられたその僧は「我は領内豊前今任の地蔵なり」と告げ姿を消した。
後日使いが所在を調べたところ、僧が告げた十輪院のお堂には確かに地蔵菩薩が存在した。
その足元は黒く焦げていた』という記述が残されています。

行事

行事

十輪院の言い伝え

言い伝え
昇り龍 降り龍

書籍紹介

仏教の教えと聞くと長そうだったり
難しそうな印象を持たれている方が多いと思いますが
そんな方達こそ手軽に手に取っていただきたい思いから
お話としても面白くわかりやすいイラストで構成した書籍を
海鳥社様より出版いたしました。

100ページ程で字も大きく
読みやすいボリュームとなっております。

書籍紹介

十輪院へのアクセス

十輪院(下今任)
〒824-0511
福岡県田川郡大任町今任原2590
TEL:0947-63-2048